中谷有逸略歴

Artist Biography

中谷 有逸

Nakaya Yuitsu (1936–2025)

中谷有逸は、北海道・札幌に生まれ、生涯の大半を十勝・帯広で過ごした版画家・美術家である。
凹凸併用版(おうとつ へいようばん)と呼ばれる独自の版画技法を生み出し、さらに病をきっかけにステンシル(合羽版〈かっぱばん〉)へと転換することで、絵画と版画の境界を越えた重厚なマチエール(質感)を生み出した。作品タイトルに一貫して掲げられた「碑(いしぶみ)」という文字が示すように、その主題はいつも「記憶」と「時間の堆積」、そして「人間の業(ごう)」であった。

幼少期には、能勢其美(のせ そのみ)、新妻清(にいづま きよし)、宮前三春(みやまえ みはる)といった北海道ゆかりの画家や美術教師から薫陶を受け、のちの造形感覚の基礎を築く。
北海道学芸大学(現・北海道教育大学)札幌分校で学んだのち、中学校・高等学校の美術教諭として教壇に立ちながら制作を続け、札幌、岩見沢、そして帯広の地に根ざした教育者・美術家として活動した。

その作品は、触覚的な画肌と有機的なフォルム、深い色調が響き合う抽象表現でありながら、そこには常に「鳥の死」「海の蠕動」「大地の神」「古事記の神々」といった具体的な物語やイメージが、静かに、しかし力強く折り重なっている。

I. 胎動と「碑」の始まり (1930–1960s)

1936年1月31日、札幌市南3条西6丁目に生まれる。父・義雄、母・菊枝の長男として育った中谷は、少年期から絵を描く楽しさに目覚める。1940年代前半、札幌市立上白石小学校在学中に能勢其美のアトリエに通い、従姉とともに本格的に絵を学び始める。

その後、円山小学校・琴似小学校・琴似中学校と転校を重ねながらも、新妻清ら道展会員の教師たちの指導を受け、絵画への志を深めていく。札幌西高等学校時代には宮前三春のもとで美術を学び、「美術教師になりたい」と強く願うようになった。

1954年、北海道学芸大学札幌分校芸能体育科に進学。1955年に全道展で油彩「悩む男」が初入選し、1957年には道展で版画奨励賞を受賞するなど、若くして公募展で注目される存在となった。

1958年、同大学を卒業し、岩見沢市立東光中学校の美術教諭として赴任。道展会友に推挙され、同年に山本和子と結婚する。

1964年、日本版画協会展に「烏の碑」2点が入選し、札幌・大丸藤井ギャラリーで初個展を開催。「烏の碑」シリーズを発表し、以後1971年まで同ギャラリーで計5回の個展を開く。この頃、版画家・大本靖(おおもと やすし)に師事し、本格的に版画表現を探究していった。

1965年頃から、切り抜いた合板に紙や樹脂を貼り重ねて凹凸をつけ、版全体に黒インクを刷り込んだ後、異なる色を重ねてプレス機で刷るという独自の技法を試みる。版の凹部と凸部の両方のインクを一度に紙へ転写するこの技法を、中谷は「凹凸併用版(おうとつ へいようばん)」と名付けた。

凹凸併用版の作品においては、切り抜かれた合板の形が白い地から浮かび上がる有機的なフォルムとなり、その表面を覆う樹脂の起伏が複雑な画肌をつくり出す。そこに残されたインクの層が重なりあい、触覚的な色彩をともなった「碑」のイメージが立ち上がってくる。中谷の代名詞となる「碑(いしぶみ)」シリーズは、こうして1960年代に胎動した。

II. 十勝の大地との対話 (1970–1990s)

1970年、北海道立近代美術館に版画作品が買い上げられ、同年には初の海外旅行としてヨーロッパ9か国を29日間かけて巡る。この体験から中谷は、「実際に見ていないものについては決して語るまい」と心に誓ったという。

1972年、道立帯広柏葉高等学校(おびひろ かしわば こうとうがっこう)へ転任し、家族とともに帯広へ移住する。以後、十勝の広大な空と風、厳しい冬と農地のリズム、開拓の歴史に囲まれながら暮らすことになる。同年、札幌冬季オリンピックの関連企画「現代日本版画展」(HBC三条ビルギャラリー)に出品し、国内外の版画家たちと交流した。

帯広での生活は、単なる「風景画」から、風土そのものの記憶を刻もうとする表現へと中谷を導いた。1970年代半ばには、帯広の街並みを水彩で描く「帯広の建物シリーズ」を開始し、2012年時点で150点を超えるライフワークとなっている。

1975年には平原社美術協会事務局長、1981年には同会会長を務め、十勝の美術界を牽引。市民とともに展覧会や講座を企画し、後進の育成にも尽力した。

1982年、「第5回北海道現代美術展」(北海道立近代美術館)に凹凸併用版作品《貌》を出品し、優秀賞を受賞。中谷の造形感覚は、北海道を代表する現代版画として高い評価を得るに至った。

1995年、北海道立帯広美術館で個展「見えざる碑像 中谷有逸展」が開催される。会場に合わせて制作された《碑(海・蠕動)》は、縦270cm×横540cmにもなる大作で、複数の板を組み合わせた凹凸併用版に、紐や貝殻、ロープ、金属片などをコラージュした作品である。波のうねりと海の脈動、大地の気配が一つの画面のなかで交錯するこの作品は、物質と精神が響き合う中谷芸術の一つの到達点といえる。

教育者としては、帯広美術関係者連絡協議会の代表として北海道立帯広美術館設立(1991年)の実現に尽力し、のちには市民ギャラリー開設にも関わるなど、「アートを市民とともに作る」姿勢を貫いた。

Artist’s Philosophy

中谷は、自らの作品を「毎日生きていることの記念碑」のようなものだと語っている。
「碑(いしぶみ)」とは、本来「立てた石(たていし)」と「石に刻まれた文(いしぶみ)」という二つの意味を持つ言葉である。
凹凸併用版による抽象的なフォルムとマチエールは「立てられた石」としての形を表し、作品タイトルに込められた「秋の声」「つながれた海から」「9月の告げ口」といった言葉は、そこに刻まれた物語や感情=「文」としての意味を担う。
形と意味、物質と時間、その両方をあわせ持つ「碑」を、生活の一日一日と結びつけて立ち上げていく――それが中谷有逸の芸術観であり、生き方であった。
もう一つ、中谷を語るうえで欠かせないのは「二本の轍(わだち)」である。ひとつは膨大な作品群が示す創作の道筋、もう一つは、持てる知識と感性を惜しみなく地域に注いだ教育者としての道筋である。
この二本の轍が幾度も交差しながら、帯広の文化シーンと中谷自身の芸術をともに耕していった。

III. 病を越えて ― ステンシルへの転換 (1999–)

1999年の正月、中谷は胃の全摘出という大手術を受ける。 術後の体には、重い版と紙をプレス機にかける凹凸併用版の制作はもはや現実的ではなかった。しかし、この危機が、新たな表現への扉を開くことになる。

同年、札幌での個展に向けて制作された《碑(果たされなかった約束)》は、新しい技法による作品だった。キャンバス地の上に、木炭粉・石粉・鉄粉と樹脂を練り合わせた自家製インクを塗り重ね、その一部を型紙で覆って別のインクを刷り込む――いわゆるステンシル(合羽版)技法を用いている。

凹凸併用版では、版の形そのものが「かたち」として現れるのに対し、ステンシルでは型紙の「抜け」がかたちを規定する。中谷はこの違いを受け止めつつ、左官職人がコテで土壁に表情を刻むような厚いマチエールを画面に与えていった。線的で流動的だった凹凸併用版のマチエールは、ステンシルによって力強く面を押し出す表現へと劇的に変化する。

同時期には、アルミ板上で植物を塩化鉄に浸して腐蝕させた痕跡を画面に用いる一群の作品も制作される。そこでは、明確なフォルムよりも、腐蝕によって生まれた線と肌理そのものが主役となり、「大地そのものが刻みつけた絵画」とでもいうべき表現が追求された。

2000年代初頭には、旧ユーゴスラビア地域の紛争を題材とした《碑(黒い雷)》《碑(赤い雨)》などの作品群や、イラク戦争や宗教対立を背景にした《碑・痕跡(二つの神)》、旧約聖書をテーマにした《碑・ノアの末裔》シリーズなど、人間の暴力性と愚かさを鋭く見つめる作品も生まれた。

一方で、《大地の神・碑》シリーズでは、アルミ板の腐蝕によって描かれた十勝の自然の表情と、ステンシルで刷り出された人間の営みを象徴する形態とが重ねられ、十勝という土地への深い共感と賛歌が表されている。

IV. 晩年 ― 「碑・古事記」への回帰 (2006–2025)

2006年から始まった《碑・古事記》シリーズは、中谷の晩年を代表する仕事である。日本最古の歴史書『古事記』に描かれた神々と人間の物語――天照大神(あまてらす おおみかみ)、須佐之男命(スサノヲ)、イザナギ、イザナミ、サホビメなど――を、過去の伝説としてではなく、現代にも通じる人間の心のドラマとして読み直した。

《碑・古事記(稲城の城塞)》《碑・古事記(スサノヲの想)》《碑・古事記(天地開闘)》《碑・古事記(国譲り)》《碑・古事記(産室の火)》《碑・古事記(鬼火)》といった作品では、黒く沈んだ地の上に、茶や赤銅色のインクが厚く盛り上げられ、鉄や土のような質感を帯びた画面が立ち上がる。発掘された古代の壁画の断片のようなその姿は、見る者の前に、時間を超えた物語の断章を差し出す。

一見すると純粋抽象の構成でありながら、作品タイトルによって具体的な物語世界への入口が開かれている点に、中谷作品の大きな特徴がある。抽象的な造形と物語性が高い次元で結びついたこれらの作品群は、「視覚による叙事詩」とも呼ぶべき連作となった。

2012年には、代表作を精選した版画集『古代のかたち、色への憧憬』が刊行され、同時に北海道立帯広美術館を中心に関連展覧会が行われた。 2014年には北海道立帯広美術館と帯広市民ギャラリーにおいて大規模な回顧展「版画家・中谷有逸展」が開催され、半世紀を超える「碑」の歩みが総括された。

その後も、十勝のアトリエに立ち続け、晩年に至るまで制作を続けた中谷は、2025年10月17日、89歳で逝去するまで、創造への情熱を絶やすことはなかった。

Chronology

1936
1月31日 札幌市南3条西6丁目に生まれる。父・中谷義雄、母・菊枝の長男。
1942
札幌市立上白石小学校入学。能勢其美のアトリエに通い、従姉とともに2年間絵を学ぶ。
1943
札幌市立円山小学校へ転校。
1944
円山公園で画家・繁野三郎の制作する姿に触れ、画家への憧れを深める。新妻清の指導で放課後に絵を描く。
1945
札幌郡琴似町立琴似小学校に転校。
1948
同校卒業。札幌市立琴似中学校入学。新妻清が担任となり、再び指導を受ける。
1951
琴似中学校卒業。北海道立札幌西高等学校入学。宮前三春の薫陶を受け、美術教師を志す。
1954
札幌西高等学校卒業。北海道学芸大学札幌分校芸能体育科に入学。
1955
全道展に油彩「悩む男」を出品し初入選。
1956
全道展に油彩入選。道展に版画で初入選。
1957
道展で版画奨励賞を受賞。以後、版画を公募展出品の中心とする。
1958
北海道学芸大学札幌分校卒業。岩見沢市立東光中学校の美術教諭として着任。道展会友推挙。山本和子と結婚。
1959
北海道版画協会発足に参加し、第2回北海道版画協会展に出品。以後継続的に出品。
1964
日本版画協会展に「烏の碑」2点入選。札幌・大丸藤井ギャラリーで初個展を開催し、「烏の碑」シリーズを発表(同ギャラリーで1971年まで計5回展)。この頃、版画家・大本靖に学ぶ。
1966
モダンアート協会展に初入選。以後出品を重ね、のちに会員となる。
1968
モダンアート協会展奨励賞受賞。
1970
北海道立近代美術館に版画が買い上げられる。田村宏とともにヨーロッパ9か国を巡るスケッチ旅行を行い、「実際に見ていないものについては語らない」という信条を得る。
1972
道立帯広柏葉高等学校へ転任し、帯広に移住。札幌冬季オリンピック協賛「現代日本版画展」に出品。
1975
平原社美術協会事務局長となる(〜1979年)。「帯広の建物シリーズ」水彩画の制作を開始。
1977
札幌時計台ギャラリーを中心に個展を定期的に開催し始める。シルクロードを旅し、以後の作品に大きな影響を与える。
1981
平原社美術協会会長に就任(〜1989年)。
1982
第5回北海道現代美術展(北海道立近代美術館)に《貌》を出品し優秀賞を受賞。
1991
帯広美術関係者連絡協議会代表として北海道立帯広美術館の開設実現に尽力。
1995
北海道立帯広美術館にて個展「見えざる碑像 中谷有逸展」開催。《碑(海・蠕動)》をはじめとする大作群を発表。
1996
帯広柏葉高等学校を定年退職。十勝文化賞受賞。
1999
胃癌の手術を受ける。凹凸併用版からステンシル技法へと本格的に転換し、《碑(果たされなかった約束)》など新たなシリーズを展開。同年、帯広市文化賞受賞。
2001
十勝の自然と人の営みを主題にした《大地の神・碑》シリーズ制作。
2003
《碑・痕跡(二つの神)》など、宗教対立をテーマにした作品群を制作。
2004
《碑・ノアの末裔》シリーズ制作。
2006
《碑・古事記》シリーズ制作開始。
2009
《碑・古事記(稲城の城塞)》《碑・古事記(天地開闘)》《碑・古事記(国譲り)》《碑・古事記(産室の火)》《碑・古事記(鬼火)》などを制作。
2012
代表作を収録した版画集『古代のかたち、色への憧憬』刊行。札幌アートラボ「北の聲アート賞・きのとや賞」受賞。
2013
《碑(海・蠕動)》についての評論などが新聞・雑誌で取り上げられる。
2014
北海道立帯広美術館・帯広市民ギャラリーにて回顧展「版画家・中谷有逸展」開催。
2017
紺綬褒章受章。
2025
10月17日、逝去。享年89。

所属

  • 元 モダンアート協会 会員
  • 元 北海道美術協会(道展) 会員
  • 元 北海道版画協会 会員
  • 元 平原社美術協会 会員・元会長
  • 元 帯広版画協会 会員

主な収蔵先

  • 北海道立近代美術館
  • 北海道立帯広美術館
  • 帯広百年記念館
  • 株式会社六花亭

中谷有逸の歩みは、凹凸併用版からステンシルへと技法を変化させながらも、一貫して「手で触れたくなるようなマチエール」と「人間の記憶を刻む碑」という主題のもとに続けられてきた。教育者として、地域に根ざした文化の担い手として、そしてなにより一人の表現者として刻み続けたその「碑」は、これからも静かに、しかし確かな力で、私たちの心に語りかけてくる。

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